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  メルマガ 「いいテク・ニュース」 雑記帳 2017年9月26日(Vol.143)「紅茶」              ≫雑記帳トップへ



   「紅茶」


18世紀のはじめころ、ヨーロッパでは茶(紅茶も緑茶も)は非常に高価なもので、特権階級の人
々が茶を持っていることと、それで客をもてなすことは権力の象徴であり、茶ひと握りと銀ひと
握りは同等の価値があるほどで、茶はマホガニーなどで頑丈に作られた箱に入れられ、盗まれぬ
ように鍵をかけて保管されていました。
その後、紅茶は1日に数回のティータイムなどイギリス人に愛され、生活とも深く結びつきます。
核戦争勃発の危機が真剣に議論された1950年代には「もし核戦争が起こった場合、紅茶が不足す
るという深刻な事態が起こる」とか「パンや肉と並び、紅茶の備蓄の必要性がある」といった議
論がイギリス政府内で行われていたと2008年5月5日付配信の『AFP通信』が伝えています。
それ程イギリスでは紅茶が生活と密接に結びついています。
今ではペットボトルで気軽に楽しめる「紅茶」ですが、「紅茶」が原因となって戦争が起きるな
どさまざまな逸話が残されています。
今回はそんな「紅茶」にまつわるあれこれをお届けします。


1.紅茶と緑茶とウーロン茶、違いはどこから?
  紅茶の原材料となる植物は和名を「チャ」といい、育つに任せると10mを超えるほどになる
  中国原産のツバキ科の常緑樹。
  日本の茶畑は、大人の腰から胸くらいの低木のイメージですが、それは茶葉を摘みやすくす
  るために剪定(せんてい)されているからです。
  紅茶の原材料となる茶の木は、日本茶や中国茶(ウーロン茶)の原材料ともなります。
  では、できあがるお茶の違いはどこからくるのでしょうか。
  答えは摘み取った茶葉の「発酵の強さ」です。

 1)不完全発酵茶(発酵させない茶)
  摘み取ってすぐの茶葉からもんだ後の茶葉を蒸したり、炒ったりして発酵を防ぎ、もともと
  の緑色に近い色合いに仕上げたもので、日本茶(緑茶)はこれに当たります。

 2)半発酵茶(途中まで発酵させる茶)
  発酵を途中でストップさせ、少しだけ発酵させた状態で、色は茶色っぽい茶葉になります。
  中国茶(ウーロン茶)はこれに当たります。

 3)完全発酵茶
  黒に近い色になるまで十分に発酵させた茶。
  紅茶はこれに分類されます。
  花や果実を思わせる香りや美しい水色(すいしょく)、渋みも完全発酵によって生まれます。

  ※水色(すいしょくと読みます。みずいろではありません。)
     =紅茶を淹れた時の水の色で、紅茶の価値を決める時のテイスティングでも水色は重
      要な要素として考慮されます。

2.イギリスにおける時間帯別紅茶の飲まれ方
  イギリスでは1日に7回も8回も紅茶を飲む習慣があり、そのときどきに名前がついています。
  以下に時間帯によって呼び名が変わる紅茶の飲み方を紹介します。

 1)朝の紅茶
  @アーリーモーニングティー
   朝一番に寝室で飲む紅茶。
  Aブレックファストティー
   朝食時に飲む紅茶。
  Bイレブンジスティー
   名前の通り11時ころに飲まれる仕事場でのティーブレイク。

 2)昼の紅茶
  @ランチティー
   イギリスのランチタイムは午後1時ころから。
   軽食とともに飲まれます。
  Aアフタヌーンティー
   19世紀にイギリスの公爵夫人が観劇やオペラ鑑賞、また夜の社交などで夕食を摂るのが20
   時以降になることから、夕食までの空腹を満たすために、サンドイッチや焼菓子を紅茶と
   ともに摂ったのがきっかけ。
   (次項で詳しい内容を紹介します。)

 3)夜の紅茶
  @ハイティー
   昼間はローテーブルで紅茶を飲むのに対し、夕食はハイテーブルで飲むことから、ハイ
   ティーと呼ばれます。
  Aアフターディナーティー
   夕食後の口直しやくつろぎの時間に飲む紅茶。
   1日の終わりを迎える前にホッとする時なので、お酒やお菓子とともに楽しみます。
  Bナイトティー
   ベッドに入る前に静かに読書したり、日記をつけたりとゆったりくつろぎながら飲む紅茶。

3.アフタヌーンティーは空腹から生まれた

 1)イギリスに紅茶をもたらしたポルトガル王女
  イギリスと言えば紅茶。
  紅茶と言えばアフタヌーンティー。
  最もイギリスらしさが感じられる習慣のひとつです。
  ここでは、アフタヌーンティー誕生の経緯をご紹介します。
  イギリスに紅茶をもたらした王妃として名を残しているのがポルトガル王女のキャサリン・
  オブ・ブラガンザ(1638-1705)と言われています。
  1662年に英国王チャールズ2世(1630-1685)に嫁いだキャサリンは、当時は貴重品だった砂
  糖と、中国のお茶を大量に持参し、砂糖を入れてお茶を飲むという喫茶方法をイギリス宮廷
  に紹介しました。
  しかし、夫チャールズ2世は名うての浮気者で、生涯に公認された愛人は14人にのぼり、生
  まれた子どもも14人もいました。
  入れ替り立ち替り現われる愛人に、キャサリンは宮殿の中で淋しさをまぎらわすため、母国
  から持ち込んだ茶を1日に何度も飲んだと伝えられています。
  紅茶はよほどの金持ちか身分が高くなければ手に入れることができず、その珍しい茶をキャ
  サリンは客人や貴婦人にも振舞い、王妃の茶は有名になり、やがて貴婦人たちの羨望の的と
  なります。
  1日1回は中国の美しい茶器で優雅な茶を飲みたいという願望が高まり、「茶は貴婦人にふさ
  わしい飲み物」という考えが広まっていきました。

 2)初代ペットボトル「午後の紅茶」のシンボルマークは公爵夫人の肖像
  イギリスのお茶会として現在でもその名を残し、伝統として受け継がれているのが、アフタ
  ヌーンティー。
  始めたのはフランシス・ベッドフォード公爵夫人のアンナマリア・スタンホープ(1788-186
  0)と伝えられています。
  1840年ころ、アンナマリアがバッキンガム宮殿の女官を退任し、公爵邸に入り、午後に紅茶
  を楽しみはじめたことが最初のようです。
  当時の貴族社会の朝食はイングリッシュブレックファーストと呼ばれるもので、盛りだくさ
  ん摂り、昼食はピクニックに出かけ少量のパンや干肉、チーズ、フルーツなどで軽くすませ
  ていました。
  その一方で社交を兼ねた晩餐は音楽会や観劇の後になり、19世紀に入ってからは次第に遅く
  なり、開始は夜の8時過ぎとされていたので、それまでの空腹はかなりの苦痛になっていま
  した。
  そこで夫人は空腹を満たすため、午後3時ころから5時ころの間に、サンドイッチや焼菓子を
  食べ、一緒に紅茶を楽しみはじめます。
  彼女を訪れてきた客人たちを応接間に通し、紅茶と食べ物を出してもてなし、それが貴婦人
  たちの間で評判になり、女性の社交場として広がり、定着していきました。
  170〜180年前にはじまったアフタヌーンティーは世界中に知れわたり、日本では1986年に、
  キリンビバレッジがペットボトルで「午後の紅茶」を発売するまでになり、その商品のシン
  ボルマークにアンナマリアの肖像が使われました。

4.アメリカ独立の契機になったボストン茶会事件
  18世紀において、イギリスとフランスは各地で植民地争奪戦争を繰り返し、北アメリカもそ
  の例外ではありませんでした。
  北アメリカをめぐる戦いは最終的にはイギリスが優勢となり、植民地を獲得しますが、一連
  の戦争により、イギリスには1億3千万ポンドもの負債が生じます。
  この負債を穴埋めするために、植民地側に関税を課します。
  植民地側の反発は強く、紅茶だけを残し、他の関税を撤廃。
  紅茶に関してはイギリス本国の執着心は強く、1773年新たな茶法「ティーアクト」を制定し、
  植民地側に押しつけてきます。
  これに反発した植民地側の急進派が1773年12月、ボストン港に停泊中の東インド会社の貨物
  船を襲い、「ボストン港をティーポットにする」と叫びながら数隻の船に積んでいた342箱
  の紅茶箱を壊し、海に投げ捨てました。
  イギリス側は犯人を捕らえようとしますが、植民地側は「ボストンで茶会(ティーパーティ
  ー)を開いただけ」とごまかし、真犯人は検挙できません。
  イギリス本国はこの暴動に対しボストン港を閉鎖し、植民地側の自治権を解消、イギリス軍
  兵士の駐留、暴動や抗議の抑圧など強硬な姿勢を打ち出します。
  対して植民地側は、イギリス本国に対し立法権を否認し、経済的な交流を断つことを決定。
  そして、ついに1775年4月、ボストン郊外でイギリス軍と植民地軍が衝突し、アメリカ独立
  戦争が勃発。
  ボストン茶会事件を支持する植民地の人たちによって、イギリス商品の不買運動が根付き、
  紅茶を飲むのをやめる動きが盛んになり、代わりにコーヒーが普及します。
  こうして、アメリカは独立。
  紅茶がアメリカ独立の契機となりました。
  初代アメリカ大統領となったジョージ・ワシントン(1732-1799)は無類の紅茶好きで、彼
  は「人は罪に問われるが、紅茶に罪はない」と堂々と紅茶を愛飲していたとのことです。

5.紅茶とアヘン戦争
  18世紀半ば、イギリス上流階級に広がった紅茶ブームが次第に大衆化し、イギリスでは紅茶
  が大量消費され、イギリス東インド会社の主な輸入品目は中国からの紅茶となっていました。
  その紅茶の買い付けに必要となる資金を得るため、イギリスが運び込んだ毛織物は絹や綿を
  好む中国人には全く受け入れられず、決済を銀にたよらざるを得なくなっていきます。
  そして、茶の輸入の増加とともに、イギリスから持ち出される銀は増加の一途をたどり、深
  刻な財政難を引き起こします。
  困窮したイギリスは、インドやベルガルで栽培させていたアヘンを中国に持ち込んで、銀の
  流出を止めるという方策に出ます。
  アヘンはケシの実から作る麻薬です。
  これを常飲するとアヘン中毒にかかり、肉体はボロボロに蝕まれ、精神も冒されます。
  中国にもアヘンはありましたが、薬として用いられ、液体にして飲むものでした。
  イギリスが持ち込んだアヘンはタバコのように吸引するもので、嗜好品的な扱いやすさから
  大流行となり、10年足らずで中国全土を覆い尽くしていきました。
  イギリスの狙いは成功し、アヘンの入手から中国に渡たす時には300倍から500倍の利益を出
  し、茶の輸入で失っていた銀は今度は中国からイギリスに逆流しはじめます。
  健康を蝕み、国をも傾けさせるアヘンに危機感を持った清朝の道光帝(どうこうてい)(1782
  -1850)はついにイギリスにアヘン持ち込みを禁止する命令を出します。
  その内容はイギリス人が現在保有するアヘンは全て没収。
  アヘンを持ち込んだ者は死刑に処すというものでした。
  イギリス商人たちはこれを断固拒否。
  この問題にイギリスは本国から商務監督官チャールズ・エリオット(1801-1875)を派遣し、
  中国へのアヘンの引き渡しを一応は承諾し、一時的な危機は回避。
  しかし、その後イギリスはこの措置に不満を持ち、中国にアヘン禁止令の撤廃を要求し、戦
  争をしかけて開国も迫りました。
  1840年、ついにアヘン戦争勃発。
  その2年後、中国は屈辱的な南京条約を締結させられ、香港がイギリスの領土となります。
  さらにイギリスは中国の複数の港を開港させ、自由貿易を開始。 
  アメリカやフランスも中国と通商条約を結び、これによって、中国茶の貿易は自由競争と変
  わっていきました。

6.紅茶とギャンブル
  イギリス人はドッグレースから、最近ではウィリアム王子の第2子シャーロット王女の名前
  (ちなみに1番人気は「アリス」でした)まで賭けの対象にしてしまうほどギャンブル好き
  な国でもあります。
  当然、紅茶も賭けの対象になりました。
  19世紀の半ば、毎年、春になって新茶が収穫されると中国からロンドンのテムズ河の港まで
  それを運ぶティークリッパー(紅茶を運ぶ快速帆船)レースが行われました。
  1番になった船には賞金が出され、積荷の紅茶は競売で高値になるだけでなく、1ポンドにつ
  き6ペンスの賞金も特別に支払われるものです。
  船の進行状況は刻々と海事新聞で伝えられ、市民は熱狂し、ゴールのテムズ河沿いの港が見
  えるレストランは満席で、望遠鏡を持った紳士淑女が詰め掛けました。
  そのティークリッパーで有名なのはスコッチウィスキーのラベルにもなっているカティーサ
  ーク。
  カティーサークは1869年11月22日に進水しました。
  しかし、悲運なことに、その1週間前にスエズ運河が開通し、帆船は通行が許可されません
  でした。
  それと同時に茶を運ぶのも蒸気船の時代へと移り、クリッパーレースは幕を閉じます。
  カティーサークはその後酒樽を運ぶ船になったので、今日ではウィスキーのカティーサーク
  で知られています。

7.紅茶と俳句
  「紅茶」単独では季語になりません。
  他の季語と組み合わせて詠まれています。
  ただ「アイスティー」は夏の季語になります。
  ここでは季節順に「紅茶」を詠んだ句を選んでみましたが、季節により詠まれた句数に偏り
  があります。

  <春>
  春浅く火酒したたらす紅茶かな(火酒=かしゅ)
  杉田久女(すぎた ひさじょ) (1890-1946)
  季語「春浅く」で春

  <夏>
  新緑の雨に紅茶のかんばしく
  日野草城(ひの そうじょう) (1901-1956)
  季語「新緑」で夏

  自愛日々冷し紅茶も控へつつ
  大島民郎(おおしま たみろう) (1922-2007)
  季語「冷し紅茶」で夏

  アイステイ遠目に杜と塔入れて(杜=もり)
  上田五千石(うえだ ごせんごく) (1933-1997)
  季語「アイステイ」で夏

  <秋>
  秋もはや熱き紅茶とビスケット
  高浜虚子(たかはま きょし) (1874-1959)
  季語「秋」で秋

  小鳥来て午後の紅茶のほしきころ
  富安風生(とみやす ふうせい) (1885-1979)
  季語「小鳥」で秋

  秋の夜や紅茶をくぐる銀の匙(匙=さじ)
  日野草城(ひの そうじょう) (1901-1956)
  季語「秋の夜」で秋

  <冬>
  父も来て二度の紅茶や暖炉燃ゆ
  水原秋櫻子(みずはら しゅうおうし) (1892-1981)
  季語「暖炉」で冬

  雪の夜の紅茶の色を愛しけり
  日野草城(ひの そうじょう) (1901-1956)
  季語「雪の夜」で冬

  寒の梅紅茶の細く注がれぬ
  柏柳明子(かしわやなぎ あきこ) (1972-)
  季語「寒の梅」で冬


私も詠んでみました。

  檸檬の香ながれて紅茶マドレーヌ(檸檬=れもん)
  白井芳雄
  季語「檸檬」で秋



今回は「紅茶」についてのいろいろをお届けしました。

全体を通じての参考文献、出典:磯淵猛
               『紅茶の教科書 改訂第二版』(新星出版社)
                ISBN978-4-405-09221-1

               磯淵猛
               『30分で人生が深まる紅茶術』(ポプラ社)
               ISBN978-4-591-13768-0

               飯田龍太・稲畑汀子・金子兜太・沢木欣一監修
               『カラー版 新日本大歳時記 愛蔵版』(講談社)
                ISBN978-4-06-128972-7

               『角川俳句大歳時記 春』(角川学芸出版)
                ISBN4-04-621031-1 C0392

               『角川俳句大歳時記 夏』(角川学芸出版)
                ISBN4-04-621032-X C0392

               『角川俳句大歳時記 秋』(角川学芸出版)
                ISBN978-4-04-621033-3 C0392

               『角川俳句大歳時記 冬』(角川学芸出版)
                ISBN4-04-621034-6 C0392

                富安風生編集代表、責任編集
               『平凡社俳句歳時記 夏』(平凡社)
                ISBN978-4-582-30518-0

                           白井明大・有賀一広
                          『日本の七十二候を楽しむ−旧暦のある暮らし−』(東邦出版)
                ISBN978-4-8094-1011-6 C0076             
  
           参考サイト:フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)



最後までお読みいただきありがとうございました。
   
                   (株)技術情報センター メルマガ担当 白井芳雄

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