A. GeimとK. Novoselovが,グラフェンの発見とその特異な物性の実証により2010年度ノーベル物理学賞を受賞したことは記憶に新しい。六員環構造をなす炭素原子の単層シート;グラフェンは,従来にない特異なキャリア輸送特性を有することから近年注目を集めている。
グラフェンの逆格子は正格子と同様に六員環構造をとる。そのブリルアンゾーンのエッジ付近において,伝導帯と価電子帯は,完全に対称な円錐形状をなし,それらの頂点はゾーンエッジで接する。すなわち,グラフェンの伝導帯と価電子帯は,ゾーンエッジ付近においては完全対称な線形分散特性を有し,かつ,バンドギャップがない。線形分散特性は,電子・正孔が有効質量のない相対論的粒子として振る舞うことを意味する。その結果,グラフェンはエネルギーによらず,バンドの傾きに対応した一定のフェルミ速度を有する。フェルミ速度は真空中の光の速度の約1/300で,これは他のいかなる半導体よりも高速である。ギャップレスなバンド構造は半金属的性質をもたらす。また,バンドギャップがないことから,マイクロ波帯から紫外光までの極めて広範囲な電磁波に対して,バンド間遷移に伴う一様な吸収・透過特性を示す。グラフェン一層の吸収率は,約2.3%であり,プランク定数と素電荷,それに真空中の光速度の3つの基本物理定数のみによって決定される。言い換えれば,極めて透明度が高く,かつ電気伝導特性を併せ持つ。電子・正孔は通常の半導体のそれらと同じく,1つの状態にはスピンを含めて2つの量子状態しか占有できないというFermi-Dirac統計に従うものの,相対論的振る舞いによって,例えば,後方散乱フリーや半整数量子ホール効果など,通常の半導体とは異なる特異な物性が現れる。
結晶構造が与える光学フォノンはそのエネルギーがゾーン中心で200 meV弱と極めて高い。このことは,グラフェンに極めて高い熱伝導特性をもたらす。熱伝導度は,自然界に存在する材料の中で最も高いダイヤモンドをも数倍凌ぐ。一方,機械的強度においてもダイヤモンドを凌ぎ,これ以上ないしなやかさと強靭さを併せ持つ。このように,グラフェンの特異な性質を挙げれば枚挙にいとまがないほどであり,いずれの性質をとっても,工学的応用の観点から極めて有用かつ興味深い。
グラフェンの誕生から7年余りの間に研究のすそ野は世界中に広がり,研究開発領域も材料物性中心の基礎研究から,工業的合成・成長技術,各種デバイス応用を含む実用化研究へと広がっている。このように、進展著しいグラフェンの研究開発状況を体系化し,関連する技術を俯瞰的にとらえ,産業応用への展開をより確実なものとする一助とすべく,本書を刊行するに至った。
本書は、全編6章から構成され、グラフェンの基礎物性から各種成長・合成技術,さらには各種デバイス応用技術に至るまでの広範な領域を包含し,第1章で、これらを総括的に解説したうえで、第2章で、グラフェンの基礎物性について、第3章では、グラフェンの各種合成技術とそれらの応用の可能性について詳述する。続いて第4章以下では、それぞれグラフェンの電子デバイス応用、エネルギーデバイス応用、光・テラヘルツデバイス応用について現状と展望を解説した。いずれも各分野の第一線で活躍中の研究者によって分担執筆されており、超多忙な中を,貴重な研究の時間を割いて執筆にご協力いただいた全ての共著者にお礼申し上げる。
2012年 6月 尾辻 泰一
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尾辻泰一 | 東北大学 電気通信研究所 ブロードバンド工学研究部門 教授 |
越野幹人 | 東北大学 大学院 理学研究科 物理学専攻 准教授 |
若林克法 | (独)物質・材料研究機構 国際ナノアーキテクトニクス研究拠点 独立研究者 |
齋藤理一郎 | 東北大学 大学院 理学研究科 物理学専攻 教授 |
藤井健志 | 富士電機(株) 技術開発本部 先端技術研究所 基礎技術研究センター 応用物理研究部 固体物理Gr 研究員 |
長谷川雅考 | (独)産業技術総合研究所 ナノチューブ応用研究センター ナノ物質コーティングチーム 研究チーム長 |
金載浩 | (独)産業技術総合研究所 ナノチューブ応用研究センター ナノ物質コーティングチーム 研究員 |
石原正統 | (独)産業技術総合研究所 ナノチューブ応用研究センター ナノ物質コーティングチーム 主任研究員 |
山田貴壽 | (独)産業技術総合研究所 ナノチューブ応用研究センター ナノ物質コーティングチーム 研究員 |
佐藤信太郎 | (独)産業技術総合研究所 連携研究体 グリーンナノエレクトロニクスセンター グループリーダー |
吾郷浩樹 | 九州大学 先導物質化学研究所 融合材料部門 准教授 |
日比野浩樹 | 日本電信電話(株) NTT物性科学基礎研究所 機能物質科学研究部 主幹研究員 |
末光眞希 | 東北大学 電気通信研究所 固体電子工学研究分野 教授 |
末光哲也 | 東北大学 電気通信研究所 ブロードバンド工学研究部門 准教授 |
長汐晃輔 | 東京大学 大学院 工学系研究科 マテリアル工学専攻 准教授 |
鳥海明 | 東京大学 大学院 工学系研究科 マテリアル工学専攻 教授 |
二瓶瑞久 | (独)産業技術総合研究所 連携研究体 グリーンナノエレクトロニクスセンター 特定集中研究専門員 |
佐野栄一 | 北海道大学 量子集積エレクトロニクス研究センター 教授 |
松本和彦 | 大阪大学 産業科学研究所 半導体量子科学研究分野 教授 |
白石誠司 | 大阪大学 大学院 基礎工学研究科 教授 |
市川貴之 | 広島大学 先進機能物質研究センター 准教授 |
VICTOR Ryzhii | 会津大学 コンピュータ理工学部 コンピュータ理工学科 教授 |
N.Ryabova | 会津大学 コンピュータ理工学部 コンピュータ理工学科 |
Maxim V.Ryzhii | 会津大学 コンピュータ理工学部 ナノエレクトロニクス講座 准教授 |
V.Mitin | バッファロー大学 電子工学部門 |
佐藤昭 | 東北大学 電気通信研究所 ブロードバンド工学研究部門 助教 |
山下真司 | 東京大学 大学院 工学系研究科 電気系工学専攻 教授 |
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第1章 | 総論 − グラフェンの特異な光電子物性と拡がる応用研究(尾辻泰一) |
1 | グラフェンの魅力 |
2 | グラフェン誕生と生成技術の進展 |
3 | グラフェン応用研究の展開 |
3.1 | 電子デバイス関連 |
3.2 | 光電子融合デバイス関連 |
3.3 | 光デバイス関連 |
3.4 | エネルギーデバイス関連 |
4 | 内外の研究開発動向と今後の展望 |
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第2章 | グラフェンの基礎物性 |
1 | グラフェンの結晶構造と電子物性(越野幹人) |
1.1 | はじめに |
1.2 | グラフェンの電子構造 |
1.3 | グラフェンとグラファイト |
1.4 | 様々な積層グラフェン |
1.5 | 磁場中のランダウ準位構造 |
1.6 | 巨大な軌道反磁性 |
2 | グラフェンの電子状態とスピン(若林克法) |
2.1 | はじめに |
2.2 | グラフェンの電子構造 |
2.3 | グラフェンのナノスケール効果 |
2.4 | グラフェンのエッジ・スピン効果 |
2.5 | おわりに |
3 | グラフェンの光電子物性(齋藤理一郎) |
3.1 | グラフェンの光学的な応用の概観:透明電極と試料評価 |
3.2 | グラフェンの光吸収の基礎 |
3.3 | グラフェンのラマン分光 |
3.4 | そのほかの光関連の技術 |
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第3章 | グラフェンの合成技術と応用展開 |
1 | 化学的剥離によるグラフェンの合成と透明導電膜応用(藤井健志) |
1.1 | はじめに |
1.2 | 化学的剥離によるグラフェンの合成方法 |
1.3 | 化学的剥離グラフェンのシートサイズの大面積化 |
1.4 | 化学的剥離によって作製したグラフェン透明導電膜 |
1.5 | おわりに |
2 | 金属触媒低温プラズマCVDと透明電極応用(長谷川雅考,金 載浩,石原正統,山田貴壽) |
2.1 | グラフェンの大面積合成の必要性 |
2.2 | ニッケル基材の熱CVD合成 |
2.3 | 銅基材の熱CVD合成 |
2.4 | 銅の触媒機能 |
2.5 | 低温合成法の必要性 |
2.6 | グラフェン合成に適するプラズマとは |
2.7 | 基材を低温に保つ |
2.8 | 表面波プラズマCVDによるグラフェン合成 |
3 | 化学気相成長法によるグラフェンの合成とトランジスタへの応用(佐藤信太郎) |
3.1 | はじめに |
3.2 | CVD法によるグラフェンの合成 |
3.2.1 | 鉄膜を利用したグラフェンの合成 |
(1) | ホットフィラメントCVD法によるグラフェン、CNTの選択合成 |
(2) | 熱CVD法によるグラフェンの合成 |
3.2.2 | 銅膜を触媒としたグラフェンの合成 |
3.3 | グラフェンのトランジスタチャネルへの応用 |
3.4 | おわりに |
4 | エレクトロニクス応用を目指したCVD成長− ヘテロエピタキシャル触媒によるグラフェンの高品質化 −(吾郷浩樹) |
4.1 | はじめに |
4.2 | グラフェンの触媒CVD成長 |
4.3 | ヘテロエピタキシャル金属上でのCVD成長 |
4.3.1 | Co薄膜 |
4.3.2 | Cu薄膜 |
4.4 | Cuの結晶面に依存した単層グラフェンのドメイン構造 |
4.5 | CVDグラフェンのデバイス作製と評価 |
4.6 | アモルファスカーボンや高分子からの合成 |
4.7 | おわりに |
5 | SiC上のエピタキシャルグラフェン成長と結晶評価(日比野浩樹) |
5.1 | はじめに |
5.2 | エピタキシャルグラフェンの層数評価法 |
5.3 | Si面上でのグラフェン成長過程 |
5.4 | Si面上エピタキシャル2層グラフェンの積層構造 |
5.5 | C面上グラフェンの回転ドメイン |
5.6 | Si面上エピタキシャルグラフェンの電気伝導特性 |
5.7 | 今後の展望 |
6 | SiC基板上のエピタキシャルグラフェン成長(末光眞希) |
6.1 | はじめに |
6.2 | Si基板上のエピタキシャルグラフェン成長技術 |
6.2.1 | Si基板上エピタキシャルグラフェン―GOS技術― |
6.2.2 | Si基板上SiC薄膜成長条件の最適化 |
6.2.3 | Si基板上SiC薄膜の面方位と表面終端 |
6.3 | Si基板上SiC薄膜の上のグラフェン形成とその評価 |
6.3.1 | Si基板上SiC薄膜の上のグラフェン形成過程のLEEDおよびXPS評価 |
6.3.2 | Si基板上グラフェンの断面TEM 評価 |
6.3.3 | Si基板上グラフェンのラマン評価 |
6.4 | おわりに |
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第4章 | グラフェンの電子デバイス応用 |
1 | グラフェンチャネルトランジスタ(末光哲也) |
1.1 | はじめに |
1.2 | バックゲート型FETとトップゲート型FET |
1.3 | ゲート絶縁膜 |
1.4 | 基板およびグラフェンの製法とトランジスタ |
1.5 | グラフェンFETの課題 |
1.6 | おわりに |
2 | グラフェン/金属コンタクトの理解と制御(長汐晃輔,鳥海明) |
2.1 | はじめに |
2.2 | グラフェン/金属コンタクトの特徴 |
2.2.1 | バンド図から見たグラフェン/金属接合 |
2.2.2 | 電荷移動領域とp-n接合 |
2.2.3 | グラフェン/金属における輸送特性 |
2.3 | コンタクト抵抗率 |
2.4 | 金属電極直下のグラフェンの輸送特性 |
2.5 | 将来展望 |
3 | グラフェンのLSI配線材料応用(二瓶瑞久) |
3.1 | はじめに |
3.2 | カーボン材料の優位性 |
3.3 | 縦方向コンタクトプラグ技術 |
3.4 | 横方向グラフェン配線技術 |
3.5 | CNT/グラフェンの接合構造 |
3.6 | おわりに |
4 | グラフェントランジスタの論理回路応用(佐野栄一) |
4.1 | はじめに |
4.2 | グラフェン中のキャリア輸送 |
4.3 | FET性能 |
4.4 | 論理回路 |
4.5 | 今後の課題 |
4.6 | おわりに |
5 | グラフェンのバイオセンサー応用(松本和彦) |
5.1 | はじめに |
5.2 | グラフェンFETの作成/特徴とバイオセンサー応用 |
5.3 | グラフェンFETによるpH測定 |
5.4 | グラフェンFETによるIgE抗体の検出 |
5.5 | アプタマー修飾グラフェンによるIgE抗体の選択的検出 |
6 | グラフェンのスピントロニクス応用(白石誠司) |
6.1 | はじめに |
6.2 | スピン依存伝導現象 |
6.3 | グラフェンへのスピン注入 |
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第5章 | グラフェンのエネルギーデバイス応用 |
1 | グラフェンの水素吸蔵応用(市川貴之) |
1.1 | はじめに |
1.2 | ナノ構造化グラファイト |
1.3 | 水素化リチウムとのナノ複合体 |
1.4 | おわりに |
2 | グラフェンの太陽電池応用(藤井健志) |
2.1 | はじめに |
2.2 | CVDを用いたCuフォイル上へのグラフェンの成長 |
2.3 | CVDグラフェンの電気伝導特性評価 |
2.4 | おわりに |
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第6章 | グラフェンの光・テラヘルツデバイス応用 |
1 | グラフェンの透明電極応用(長谷川雅考,石原正統,山田貴壽、金載浩) |
1.1 | 透明導電膜として期待されるグラフェン |
1.2 | タッチパネルの試作 |
1.3 | 他のITO代替透明導電膜材料との比較 |
1.4 | グラフェンのロールTOロール成膜 |
1.5 | グラフェンが期待される透明電極応用分野 |
2-A | Concepts of Terahertz and Infrared Photodiodes and Phototransistors Based on Graphene Structures(V. Ryzhii, N. Ryabova, M. Ryzhii, V. Mitin, T. Otsuji) |
2.1 | Introduction |
2.2 | Device structures and operation principles |
2.3 | Energy spectra of electrons and holes |
2.4 | Quantum efficiency of interband absorption |
2.5 | Responsivity of GL, MGL, GNR, and GBL p-i-n photodiodes |
2.6 | Comparison of GL, MGL, GNR, and GBL photodiodes responsivities |
2.7 | Comparison of dark-current limited detectivities of the photodiodes |
2.8 | GNR and GBL photodiodes vs GNR and GBL phototransistors |
2.9 | Conclusions |
2-B | グラフェンの光波検出応用(尾辻泰一) (Concepts of Terahertz and Infrared Photodiodes and Phototransistors Based on Graphene Structures(概要)) |
3 | グラフェンのプラズモン特性とテラヘルツデバイス応用(尾辻泰一) |
3.1 | はじめに |
3.2 | グラフェン内プラズモンのモデリングと分散・減衰特性 |
3.3 | グラフェンリボンアレイの分散特性とテラヘルツデバイス応用 |
3.4 | グラフェン導波路における表面プラズモン・ポラリトンの利得増強作用 |
3.5 | グラフェン金属格子における表面プラズモン・ポラリトン利得増強作用 |
3.6 | おわりに |
4 | グラフェンの非平衡キャリアダイナミクスとテラヘルツレーザー応用(佐藤昭) |
4.1 | はじめに |
4.2 | 非平衡キャリアダイナミクスの理論的解析 |
4.2.1 | 概要 |
4.2.2 | レート方程式と誘電率 |
4.2.3 | パルス励起による反転分布 |
4.2.4 | CW励起による反転分布 |
4.3 | 時間分解計測によるTHz波増幅の観測 |
4.3.1 | 概要 |
4.3.2 | 光ポンプ/THz&光プローブ法に基づく時間分解計測 |
4.3.3 | 実験結果・議論 |
4.4 | おわりに |
5 | グラフェンの光可飽和吸収特性と超短光パルスレーザー応用(山下真司) |
5.1 | はじめに |
5.2 | グラフェンの光学特性 |
5.2.1 | グラフェンの電気的・光学的特性 |
5.2.2 | グラフェンの非線形光学特性 |
5.3 | グラフェンを用いた短パルスレーザ |
5.3.1 | グラフェン光デバイス |
5.3.2 | グラフェンモード同期光ファイバレーザ |
5.4 | まとめと今後の展望 |