メルマガ 「いいテク・ニュース」 雑記帳 2015年9月16日(Vol.131) 「蕎麦」 ≫雑記帳トップへ
「蕎麦」
アップル社の共同設立者で、2009年にフォーチュン誌で過去10年の最高経営責任者(CEO)に
選ばれたスティーブ・ジョブス(1955-2011)氏は日本食、とりわけ蕎麦が大好物だったこと
はよく知られています。
そのため、アップル社の社員食堂の和食担当のシェフに築地のそば専門学校「築地そばアカ
デミー」で修行させ、社員食堂に手打ちそばのメニューを加えました。
また、日本最古の医学書で国宝でもある『医心方(いしんぼう)』には「蕎麦は五臓の汚れた
滓(かす)を洗い流して精と神をつなぐ。その葉を煮て食することもできる。ただし食べ過ぎ
はよくない。」
とあります。
今回はそんな「蕎麦」についての豆知識をお届けします。
◎蕎麦とことわざ
○蕎麦の自慢はお里が知れる
蕎麦は痩せ地でも育つので、逆に言えば痩せ地で、米があまりとれない土地。
蕎麦の自慢は自慢にならないこと。
小林一茶の句に「蕎麦国のたんを切りつつ月見哉」がある。
※たんを切る=啖呵を切る、国自慢をすること。
○蕎麦で首くくる
できるはずがないこと。「豆腐の角に頭をぶつけて死ぬ」と同じ意味。
○蕎麦屋の徳利
屋台の蕎麦屋の汁入れ徳利は倒れないように柱に縄でくくりつけてありました。
そのことから、ひもつきで自由を束縛されている状態。
○紺屋のあさって蕎麦屋のただ今
出前の催促に「ただ今」、「もう出ました」は蕎麦屋の伝統的なせりふ。
あてにならない約束の例え。
○蕎麦屋のこんくらい
昔の職人さんは粉と水の割合とか、つゆのだしの量とかを質問すると答えはたい
てい手つきで「こんくらい」かなと・・・・。
◎蕎麦屋さんには「○○庵」という屋号が多いのはなぜ?
江戸時代享保(1716-1735)のころ、浅草に称往院極楽寺という寺院があり、その院内
に道光庵という支院がありました。
ここの庵主は信州生まれの蕎麦打ち名人で、檀家のために蕎麦を振る舞っていました。
町の人たちは、そのうまさに驚き、信心にかこつけて人々が連日押しかけ、門前に
行列ができるほどの賑いになりました。
その繁盛にあやかりたいと他の蕎麦屋も屋号を「○○庵」とつけるところが急増した
そうです。
その後、蕎麦屋なのか寺なのかわからないようになった道光庵を親寺の称往院が戒め、
蕎麦打ちを再三禁じますが、道光庵は従わず、遂に、天明6年(1786)「寺内で蕎麦を打
っては当院の規律を乱すゆえ蕎麦境内に入ることを許さず」との碑が門前に建て、最後
通牒されます。
これにより三代続いた蕎麦切り寺の歴史が幕を閉じました。
道光庵の蕎麦振る舞いを禁止した「不許蕎麦」の碑は移転した世田谷区北烏山に現在
も残っています。
◎ホンダのスーパーカブは蕎麦屋の出前の片手運転に使えるようクラッチレバーをなくし
た設計にした。
湿地であろうが、砂漠であろうがお構いなしに走れるタフネスさが最大の特長で、発売
から50年以上にわたり世界各国で累計すると6,000万台以上売れているHONDAの傑作
オートバイ、スーパーカブ。
開発当時は現在ほど交通規則が厳しくなく、下駄履き、雪駄履きは普通で、もちろんノー
ヘルで、蕎麦の出前には片手運転の自転車が一般的でした。
高く積み重ねた蒸籠(せいろ)を曲芸のように肩に担いで、片手でハンドルを握る姿は当時
の蕎麦屋の出前の象徴でした。
そこでホンダの創業者、本田宗一郎氏が「蕎麦屋が片手で運転できるバイク」のコンセ
プトで開発されたのがホンダのスーパーカブでした。
また、カブは「エンジンオイルの代わりに天プラ油や灯油を使っても走る」と噂され、
実際にアメリカのTV局、ディスカバリーチャンネルの番組でエンジンオイルに料理店
から集めた食用油を濾過して使用し、街中を走り回りました。
◎信州信濃の 新蕎麦よりも わたしゃ貴方の 傍がいい
はよく耳にする都々逸です。
その都々逸は江戸後期、遊里(ゆうり)から発祥し、初代の都々逸坊扇歌(どどいつぼう
せんか)(1804-1852)によって「七・七・七・五」の音数律が確立したとされています。
元来、三味線と共に唄われ、寄席や座敷などの出し物で、発祥が遊里ということから、
男と女の情を唄った作品が多く、情歌とも呼ばれます。
ここでは、女性を侍らせたお酒の席などで、小粋に口ずさみたくなるような作品を選んで
みました。
蕎麦とは直接関係はありませんがお楽しみ下さい。
枕出せとは つれない言葉 そばにある膝 知りながら
十日も逢わねば 死ぬかもしれぬ こんなにやせても まだ三日
いやなお方の 親切よりも 好いたお方の 無理がよい
上を思えば 限りがないと 下を見て咲く 百合の花
積る話が 仰山おすえ それに今夜は 雪どすえ
はげ頭 抱いて寝てみりゃ 可愛いものよ どこが尻やら アタマやら
◎蕎麦と俳句
俳句の世界での「蕎麦」は取り扱い注意です。
「蕎麦」は年中食べられることもあり、単に「蕎麦」だけでは季語にはなりません。
「蕎麦の花」、「新蕎麦」は秋の季語になり、「蕎麦掻(そばがき)」「蕎麦刈(そばかり)」
「蕎麦湯(そばゆ)」は冬の季語になります。
ここでは秋の季語である「蕎麦の花」と「新蕎麦」で詠まれた句を選んでみました。
○蕎麦の花
蕎麦はまだ花でもてなす山路かな
松尾芭蕉(まつお ばしょう) (1644-1694)
道のべや手よりこぼれて蕎麦の花
与謝蕪村(よさ ぶそん) (1716-1784)
此頃の銀河や落てそばの花
松岡青蘿(まつおか せいら) (1740-1791)
痩山にぱつと咲けりそばの花(痩山=やせやま)
小林一茶(こばやし いっさ) (1763-1828)
そばの花山傾けて白かりき
山口青邨(やまぐち せいそん) (1892-1988)
○新蕎麦
新蕎麦の信濃話や駒迎へ
森川許六(もりかわ きょりく) (1656-1715)
新蕎麦に満月近くなりしかな
長谷川かな女(はせがわ かなじょ) (1887-1969)
新蕎麦や杉冷えしるき坊の月
吉田冬葉(よしだ とうよう) (1892-1956)
新蕎麦や着馴れしものをひとつ着て
石川桂郎(いしかわ けいろう) (1909-1975)
新蕎麦の太々としてぶつきら棒
川崎展宏(かわさき てんこう) (1927-2009)
ちなみに、蕎麦を詠んだ有名な句
信濃では月と仏とおらがそば
は小林一茶の作ではなく、作者は別人という説があります。
私も詠んでみました。
花蕎麦や白きを縫ふて赤バイク
白井芳雄
今回は「蕎麦」についてのいろいろをお届けしました。
全体を通じての参考文献、出典:『大辞林(第二版)』(三省堂)
『日本大百科全書』(小学館)
三省堂編修所編 1987年
『実用ことわざ 慣用句辞典』 (三省堂)
『カラー版 新日本大歳時記 愛蔵版』(講談社)
(飯田龍太・稲畑汀子・金子兜太・沢木欣一監修)
『角川俳句大歳時記 春・夏・秋・冬』
白井明大・有賀一広
『日本の七十二候を楽しむ−旧暦のある暮らし−』(東邦出版)
向笠千恵子
『食べる俳句 旬の菜事記』(本阿弥書店)
新島繁
『蕎麦の事典』(柴田書店)
俣野敏子
『そば学大全 日本と世界のソバ食文化』(平凡社新書)
参考サイト:フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)
最後までお読みいただきありがとうございました。
(株)技術情報センター メルマガ担当 白井芳雄
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