メルマガ 「いいテク・ニュース」 雑記帳 2016年11月16日(Vol.138)「イチョウ」「いちょう」「銀杏」「公孫樹」
「イチョウ」「いちょう」「銀杏」「公孫樹」
最近、メディアによく登場する小池百合子(1952-)東京都知事。
その記者会見のバックで東京オリンピックのエンブレムの横に見え隠れするイチョウの葉のよう
なシンボルマーク。
これは東京都が1989年(平成元年)に東京市成立100周年を記念して、“TOKYO”の頭文字の
「T」を図案化して制定されたものです。
シンボルマーク選考委員会の副委員長を務めたデザイナーの榮久庵 憲司(えくあん けんじ)(
1929-2015)氏は、「決め手はシンプルで誰でも書けて、応用しやすい点でした。そしてイチョウ
のようで、イチョウではない、その曖昧さもポイントです」とコメントしています。
さて、そのイチョウの木は1966年(昭和41年)に、イチョウ、ケヤキ、ソメイヨシノの3つの候補
から都民投票が行われ、イチョウが約半数を占め、東京都の木に選ばれています。
また、大阪府は御堂筋の銀杏並木が大阪を代表する景観であることからイチョウを府の木に選出
しています。
恐竜があたりを走り回っていたころから「生きている化石」として地球の氷河期などの大変動に
耐え、現代も生き続ける世界で最古の木であるイチョウ。
第2次世界大戦後、一面焼け野原になった日本の都市で最初に芽吹いた木もイチョウでした。
また、ロンドンやパリのイチョウは江戸時代に日本から移植されたものです。
そのイチョウの木、1本で寿命約1,000年以上ともいわれています。
今回はその生命力、風格ある姿、夏の木陰、秋の黄葉の美しさから日本を代表する自治体の木に
もなっている「イチョウ」「いちょう」「銀杏」「公孫樹」にまつわる豆知識をお届けします。
深まる秋の一時、お楽しみいただければうれしく存じます。
1.イチョウ、銀杏、公孫樹の語源
イチョウは漢字で「銀杏」あるいは「公孫樹」と書きます。
中国ではイチョウの葉がアヒルの水かきに似ていることから「鴨脚」と書き、中国南部では
これを「イーチャオ」と発音します。
これが鎌倉時代に日本に伝わり、「イーチャオ」が「イチョウ」になりました。
漢字の「銀杏(ギンナン)」は実の形が杏(アンズ)に似て殻が銀白であることに由来し、
銀杏(ギンアン)が訛ってギンナンに。
「公孫樹」はイチョウを植樹した後、孫の代になってようやく実が食べられるという意味に
よります。
2.「銀杏城(ぎんなんじょう)」と呼ばれている日本三名城の一つである熊本城に寄付をする
と「復興城主」になれる。
荻生徂徠(おぎゅう そらい)(1666-1728)の記した『ツ録外書(けんろくがいしょ)』の
記述によれば、江戸時代初期、城造りの名手と言われた加藤清正(かとう きよまさ)(156
2-1611)、藤堂高虎(とうどう たかとら)(1556-1630)が普請(ふしん)した城のうち、
特に機能美に優れた名古屋城、大坂城、熊本城の三つの城を日本三名城に選定しています。
ちなみに姫路城は池田輝政(いけだ てるまさ)(1565-1613)の手によるものなので該当し
ていません。
その一つである熊本城が何故、銀杏城と呼ばれているのか?
それは敵に攻められた時、兵糧不足にならないよう、築城時に加藤清正が銀杏を植えたこと
によります。
また、清正が亡くなる時「この銀杏の木が天守閣と同じ高さとなれば、何か異変が起きるで
あろう」と予言しました。
それが奇しくも1877年の西南戦争の時であったと伝わっています。
西南戦争でこの銀杏の木も燃えてしまったようですが、息を吹き返して生長しています。
また、熊本城内の畳床もいざという時、食用になる里芋の干しずいきで作られていたそうで
す。
その熊本城には熊本城災害復興支援金と復興城主制度があり、城主証の交付やその他の特典
があります。
詳しい内容をご覧になるにはこちらから
(「熊本城」公式ホームページ http://wakuwaku-kumamoto.com/castle/)
3.本能寺のイチョウは水を噴く?
本能寺といえば、織田信長(1534-1582)が明智光秀(1528-1582)の謀反により最期を迎え
た「本能寺の変」で有名ですが、その本能寺には「火伏のイチョウ」と呼ばれる幹周5m、樹
高30mの巨木があり、不思議な伝説が残されています。
1788年(天明8年)旧暦1月に京都の町は大火災に襲われ、町の中心部全域に火の手が回り、
禁裏(御所)、二条城、公家、町家、神社、寺院まで火の海と化したようです。
この時、逃げ場を失った数10人が本能寺境内の大きなイチョウの木の下で身を寄せ合ってい
ました。
炎は寺全体を呑み込む勢いで本堂にも火が回り始めた時、突然イチョウから水が噴き出し、
数10人はこの水のおかげで火傷一つ負わずに助かったと伝えられています。
以来、この木は「火伏せのイチョウ」として大切に奉られるようになりました。
イチョウが「水を噴く」ことの真偽はさておき、イチョウ、サンゴジュ、シイ、カシ、ナラ
、モチノキ、ツバキ、サザンカ等の樹木は枝葉に含む豊富な水分で火を防ぐことはよく知ら
れています。
木々は美しいだけでなく防火の役割も果してくれていたのです。
さて、本能寺は1582年(天正10年)に「本能寺の変」で炎上、焼失しましたが、それを含め
現在まで6回も炎上し、その都度再建されています。
あまりにも度重なる火災に、何か因縁でもあるのかと考え寺名の「能」という漢字のツクリ
の部分に「ヒ(火)」が2つあるのが縁起が悪いとされ、ツクリの部分を「去」に変えて「
火(ヒ)が去る」として寺名に表記するようになりました。
それ以来、火災は起きていないそうです。
本能寺表門の石碑をご覧になるにはこちらから
(https://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:Honnouji5756.JPG)
(本能寺 - Wikipediaより。Source=mariemon | Date=2010/05/27 Permission={{self|GFDL
|cc-by-3.0}https://creativecommons.org/licenses/by/3.0/deed.ja})
4.日比谷公園の真ん中にある巨木は「首かけイチョウ」と呼ばれている。
「首かけイチョウ」ってまさかあの首掛け?と思いますが、違います。
日本の行政の中心である霞が関の官庁街に近く、オアシスのような憩いの空間が広がる日比
谷公園。
そのほぼ中央にある巨大なイチョウの木(幹周6.5m、樹高21.5m、推定樹齢350年)。
案内板によれば、このイチョウは日比谷公園開設までは日比谷見附(現在の日比谷交差点脇
)にあったもので、1901年(明治34年)道路拡張の際、じゃまになると伐採されようとした
のを、この公園の設計者であった本多静六(ほんだ せいろく)(1866-1952)博士が「私の
首を賭けても移植を」と東京市参事会の星亨(ほし とおる)(1850-1901)議長に懇請し、
イチョウを今の場所まで450m移動させました。
それでこのイチョウは「首賭けイチョウ」と呼ばれています。
巨木の大切さを訴えた本多静六博士は、新宿区の明治神宮、福岡市の大濠公園など多くの公
園の設計者として知られ、日本の「公園の父」といわれています。
また、当時の星亨議長は、その行動力から「押し通る」の異名で呼ばれた程の人でしたが、
その年(1901年)の6月、市庁内で刺殺されています。
「首かけイチョウ」は江戸時代から明治、大正、昭和、平成と激しく変化する東京を見守り
続けているのでしょう。
5.御堂筋の銀杏並木は近い将来ギンナンが生らない雄株だけに?
大阪のメインストリート御堂筋が現在のように幅約44mの道路として整備されたのは1937年。
来年、開通80周年を迎えます。
その御堂筋、イチョウの黄葉がそろそろ見頃です。
このイチョウの木には雄株と雌株があり、ギンナンの実をつけるのは「雌株」だけ。
このギンナンが熟して御堂筋周辺の道路に落ちるのですが、これに関して次のような苦情が
絶えないようです。
@強烈な臭いを放つ
Aギンナンを踏んだ車がスリップし危険
Bギンナンがつぶれている様子が汚い
Cギンナンひろいに夢中になる人が道路に出てきて危険
などの理由から「雌株」から「雄株」へと植え替えが進められています。
大阪市政報告の御堂筋イチョウデータによると
イチョウ植栽本数(平成26年9月)
・阪急前〜梅田新道 ・・・77本
・梅田新道〜淀屋橋北詰 ・・・68本
・淀屋橋南詰〜船場中央3・・・348本
・久太郎町3〜新橋 ・・・210本
・新橋〜難波西口 ・・・269本
合計 ・・・972本
(内ギンナンのなる雌樹は256本)
となっています。
銀杏の取り扱いにはいろいろな意見がありますが、大阪の秋の風物詩とも言える銀杏拾いの
人たちの姿を見られるのもあと数年かも知れません。
ちなみに御堂筋の名前は北御堂(本願寺津村別院)と南御堂(真宗大谷派難波別院)が沿道
にあることに由来します。
また、俳聖 松尾芭蕉(まつお ばしょう)(1644-1694)の没地は現在の大阪市中央区久太
郎町4丁目付近とされていて、御堂筋の拡幅により現在は御堂筋の車線上にあります。
時の流れを感じます。
6.銀杏と俳句
「銀杏」は「いちょう」と詠まれたり、「ぎんなん」と詠まれたりします。
ここでは季節順に「銀杏」を詠んだ句を選んでみました。
<晩春>
銀杏の花や鎌倉右大臣(銀杏=ぎんなん)
内藤鳴雪(ないとう めいせつ)(1847-1926)
季語「銀杏の花」で晩春
<晩秋>
銀杏散るまつただ中に法科あり(銀杏=いちょう)
山口青邨(やまぐち せいそん)(1892-1988)
季語「銀杏散る」で晩秋
とある日の銀杏もみぢの遠眺め(銀杏=いちょう)
久保田万太郎(くぼた まんたろう)(1889-1963)
季語「銀杏もみぢ」で晩秋
銀杏が落ちたる後の風の音(銀杏=ぎんなん)
中村汀女(なかむら ていじょ)(1900-1988)
季語「銀杏」で晩秋
ぎんなんをむいてひすいをたなごころ
森澄雄(もり すみお)(1919-2010)
季語「ぎんなん」で晩秋
ぎんなんをひろひてをりぬゆきくるや
石原八束(いしはら やつか)(1919-1998)
季語「ぎんなん」で晩秋
銀杏散る思ひ出したるやうに散る(銀杏=いちょう)
岩田由美(いわた ゆみ)(1961-)
季語「銀杏散る」で晩秋
<初冬>
銀杏踏みて静に児の下山哉(銀杏=いちょう)(静に児の=しずかにちごの)
与謝蕪村(よさ ぶそん)(1716-1784)
季語「銀杏踏む」で初冬
蹴ちらしてまばゆき銀杏落葉かな(銀杏=いちょう)
鈴木花蓑(すずき はなみの)(1881-1942)
季語「銀杏落葉」で初冬
<冬>
銀杏枯れ星座は鎖曳きにけり(銀杏=いちょう)(鎖曳き=くさりひき)
大峯あきら(おおみね あきら)(1929-)
季語「銀杏枯れ」で冬
私も詠んでみました。
かすかなる風がほほ撫で銀杏散る(銀杏=いちょう)
白井芳雄(1947-)
季語「銀杏散る」で晩秋
今回は「イチョウ」「いちょう」「銀杏」「公孫樹」についてのいろいろをお届けしました。
全体を通じての参考文献、出典: 著者 長田敏行
『イチョウの自然誌と文化史』((株)裳華房)
ISBN978-4-7853-5857-0 C3045
作 アラン・セール
絵 ザウ
訳 松島京子
『イチョウの大冒険 −世界でいちばん古い木』
((株)冨山房インターナショナル)
ISBN978-4-905194-47-7
飯田龍太・稲畑汀子・金子兜太・沢木欣一監修
『カラー版 新日本大歳時記 愛蔵版』((株)講談社)
ISBN978-4-06-128972-7
『角川俳句大歳時記 夏』((株)角川学芸出版)
ISBN4-04-621032-X C0392
『角川俳句大歳時記 秋』((株)角川学芸出版)
ISBN978-4-04-621033-3 C0392
『角川俳句大歳時記 冬』((株)角川学芸出版)
ISBN4-04-621034-6 C0392
白井明大・有賀一広
『日本の七十二候を楽しむ−旧暦のある暮らし−』(東邦出版(株))
ISBN978-4-8094-1011-6 C0076
参考サイト:フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)
故事ことわざ辞典
(http://kotowaza-allguide.com/)
大阪市市政 御堂筋のイチョウ
(http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000242811.html)
最後までお読みいただきありがとうございました。
(株)技術情報センター メルマガ担当 白井芳雄
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