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  メルマガ 「いいテク・ニュース」 雑記帳 2017年3月29日(Vol.140)「風船」              ≫雑記帳トップへ



   「風船」


春のスポーツイベントとともに季節は進んでいます。
2017 WORLD BASEBALL CLASSICではSAMURAI JAPANは残念ながら準決勝でアメリカに敗れ、世界一
奪還の夢は消えました。
しかし、大相撲大阪場所では横綱稀勢の里の奇跡の逆転優勝に大感動し、選抜高校野球では延長
引き分け再試合が2試合連続し盛り上がっています。
サッカー2018年W杯アジア最終予選B組の日本はタイに4-0で勝ち、得失点差でB組首位に浮上し、
予選通過の可能性が高まりました。
また明後日、3月31日(金)にはプロ野球公式戦が開幕します。
そのプロ野球観戦の楽しみの一つにジェット風船飛ばしがあります。
風船は3世紀に諸葛孔明が通信の手段として無人の熱気球を発明したのが最初と伝えられています。
漢字で風の船と書きますが、「風船」という言葉は飛行する器という意味があり、風袋(かざぶ
くろ)を備えた船という空を飛ぶ乗物として捉えられていたのでしょう。
風船には玩具としての紙風船からイベントやお祭りを華やかに彩る風船、乗り物としての風船、
兵器としての風船などさまざまあります。
今回はそんな風船の豆知識をお届けします。


1.サッカーボールや遊具としての風船には動物の膀胱が使われていた?!
  ヨーロッパではゴム風船が普及する前は動物の膀胱が球技や遊具、浮き袋などに使われ、サ
  ッカーやラグビーの球技にも膀胱ボールが使われていました。
  その例として、16世紀のブラバント公国(現在のオランダ)の画家ビーテル・ブリューゲル
  (1525年から1530年ころ生まれ-1569年没)の描いた作品「子供の遊戯」の中で豚の膀胱が川
  で泳ぐ人の浮き袋に使われています。
  また、動物の生体膜は、実験で用いるガス袋に使われ、初期の硬式飛行船には水素ガスを詰
  めた牛や羊の膀胱が使用されていました。

2.日本の紙風船は富山の薬売りのお土産がはじまり。
  息を吹きこむと膨らみ、たたむと元の平面に戻り、息を吹き入れる穴をふさぐ必要がないな
  ど発想がすばらしい玩具である紙風船。
  紙風船は平面である紙から立体的な球体や正六面体を作り出します。
  紙風船が日本全国に広まったのは大正時代からで、富山の薬売りが各家庭にお土産としてお
  いていったことからのようです。

3.ツェッペリン飛行船爆発事故
  ガスを充填して空を飛行する大型の乗り物に飛行船があります。
  1891年、ドイツの退役軍人ツェッペリン伯爵(1838-1917)が飛行船の開発を始め、本格的な
  空の乗り物として実用化し、大西洋横断航路など1900年代初頭にかけて、飛行船は豪華な空
  の客船として夢の乗り物になりました。
  しかし、1937年5月にドイツ、フランクフルトから2日半の大西洋を横断後、アメリカ、ニュ
  ーヨーク近郊のニュージャージー州レイクハースト海軍飛行場に着陸体勢に入った時、尾翼
  付近から突然爆発。
  飛行船ヒンデンブルグ号は炎上しながら墜落し、乗客・乗員等36名が死亡しました。
  この事故により飛行船の安全性に疑問が持たれ「飛行船の時代」は幕を閉じました。
  1912年4月に起きたイギリスの豪華客船タイタニック号沈没事故、1986年1月のアメリカのス
  ペースシャトル・チャレンジャー号の爆発事故などとともに世界を揺るがせた大事故の1つ
  とされています。
  ちなみにロックグループのレッド・ツェッペリンのデビューアルバム『レッド・ツェッペリ
  ン』は1969年に発売されていますが、そのジャケットには爆発する飛行船の写真が使用され
  ています。

4.7700kmも飛んだ風船爆弾
  風船爆弾とは第2次世界大戦中、日本軍がアメリカ本土を攻撃するために考案された兵器。
  コンニャク糊と楮(こうぞ)製の和紙でできた爆撃兵器で、水素ガスを充填して直径約10mの
  大型風船をつくり、時限投下装置付きの爆弾や焼夷弾(しょういだん)を吊して、偏西風に
  のせてアメリカ大陸を目指し飛ばされました。
  その期間は1944年11月ころから1945年3月ころまでで、福島、茨城、千葉からその数約9000個
  が飛ばされ、そのうちアメリカ大陸に到着したもの約1000個。
  1945年5月にオレゴン州でピクニック中の子供ら6人が爆弾に触れ死亡しています。
  当時の価格で1個約1,000円で作られ、アメリカ国民を恐怖のどん底に陥れた奇想天外な風船
  爆弾。
  当時の呼称は「気球爆弾」で、ほぼ無誘導で第2次世界大戦に用いられた兵器の到達距離とし
  ては最長。
  茨城県からオレゴン州までは約7700kmあります。
  アメリカ側の戦意維持のためと、日本側が戦果を確認できないようにするため、アメリカ政
  府は厳重な報道管制をしき、風船爆弾による被害を隠蔽したとされています。
  公表されている戦果は少なかったものの、アメリカ側に対する心理的な効果は大きかったよ
  うで、1949年4月に日本劇場屋上に戦後初のアドバルーンが揚げられましたが、風船爆弾を連
  想させるという理由から、GHQの指令により2日後に禁止されています。

5.秋田県に「冬蛍」と呼ばれる武者絵や美人画が描かれた巨大紙風船上げがある。
  それは秋田県仙北市の上桧木内の風船上げ(かみひきないのふうせんあげ)と呼ばれ、毎年
  2月10日に行なわれる100年以上の歴史を持つ伝統行事です。
  由来を書き記したものは残っていませんが、安永2年(1773年)に同地を訪れた平賀源内(
  ひらが げんない、1728-1780)が、熱気球の原理を応用した遊びを住民に教えたことが発祥
  の起源とされています。
  従来は五穀豊穣、家内安全を願う「虫焼き」(たんぼに稲わらを積み、火をつけるもので、
  どんと焼とも呼ばれる)と同時に行われる小正月行事のひとつでした。
  第2次世界大戦をはさみ一時中断しましたが、1974年(昭和49年)地元上桧木内の有志による
  熱心な取り組みにより復活し、紙風船の巨大化が進み、現在では冬の秋田を代表する風物詩
  となっています。
  紙風船の製作は、打ち上げ本番2ヶ月程度前(通常は12月)から始まります。
  近年は幅1mほどの業務用和紙を貼り合わせて作り、長さ3mから8m、大きなもので12mに達する
  巨大な円筒形構造となっています。
  上部の口は大きさに合わせた紙で熱気が逃げないように封をし、下部の口には竹製の輪を取
  り付けます。
  この輪に紙風船の揚力源となるタンポと呼ばれる石油を浸み込ませた布玉を固定して完成。
  2月10日の打ち上げ当日、ガスバーナなどの熱気で紙風船を膨らませてからタンポに火をつけ
  ると、武者絵や美人画などが、灯火の明かりにより和紙をすかして姿を現します。
  風船内に熱気が十分入ったのを確認し、タイミングを合わせて手を離すと、紙風船は静かに
  夜空へ舞い上がり、きらめきながら、星空に消えていく幻想的な光景は冬蛍とも呼ばれてい
  ます。

6.ジェット風船飛ばしの元祖は阪神ファンではなく広島ファンだった。
  ジェット風船飛ばしは、最近では多くの球場で参加できる定番の応援スタイルになっていま
  す。
  中でも有名なのが阪神甲子園球場の7回裏ラッキー7のジェット風船飛ばしでしょう。
  民放のプロ野球テレビ中継では、3アウトで攻守交替の時にCMに入ることが多いですが、神戸
  が地元のサンテレビの中継では、7回裏開始前だけはすぐにCMに入らず、ジェット風船飛ばし
  が終ってからCMに入るくらい風船飛ばしにこだわっています。
  当然、最初にジェット風船飛ばしを始めたのも阪神ファンかと思いきや、その発祥には諸説
  あります。
  中でも一番有力なのは、昭和53年(1978年)5月に広島の私設応援団「広島東洋カープ近畿後
  援会」のメンバーが始めたという説です。
  当初は、甲子園での阪神vs広島の試合で広島の選手がホームランを打つたびにジェット風船
  を飛ばしたのがキッカケとか。
  それがいつしか、1試合に何度も風船を飛ばしていると、風船がすぐになくなってしまうから
  という理由で、7回表ラッキー7の広島が攻撃する前にだけ風船を飛ばすスタイルに変更され
  たようです。
  その後、昭和60年(1985年)の「阪神タイガース21年ぶりのV」の熱狂のなかで、甲子園を
  埋め尽した阪神ファンがジェット風船を飛ばしたことで、ジェット風船=阪神甲子園球場と
  いうイメージが出来あがりました。
  阪神ファンとして知られる水樹奈々が長年の悲願であった甲子園球場でのライブを2016年9月
  22日に開催しました。
  その際のグッズのラインナップにジェット風船が入っていたのと、当日の入場者全員にジェ
  ット風船が1個ずつ配られ、7曲目の前に阪神の公式戦の時のラッキー7の前のファンファーレ
  が流され、その後一斉にジェット風船を飛ばす演出がされ、長年の夢がかないました。

7.風船と俳句
  明るく暖かい色彩が、いかにも春を思わせるからなのか「風船」は春の季語となったようで
  す。
  ここでは「風船」を季語に詠まれた句を作者の年代順に選んでみました。


  風船赤し子はくだものの匂ひして
  成田千空(なりた せんくう) (1921-2007)


  風船のたましひ入れしふうはふは
  松澤昭(まつざわ あきら) (1925-2010)


  ミッキーの風船まるい耳ふたつ
  今井千鶴子(いまい ちづこ) (1928-)


  風船を手放すここが空の岸
  上田五千石(うえだ ごせんごく) (1933-1997)


  紙風船突くやいつしか立ちあがり
  村上喜代子(むらかみ きよこ) (1943-)


  紙風船息吹き入れてかへしやる
  西村和子(にしむら かずこ) (1948-)


  風船に引かれゆく子に手を引かれ
  片山由美子(かたやま ゆみこ) (1952-)

私も詠んでみました。

  七つ八つ先立つ風船甲子園(七つ八つ=ななつやつ)
  白井芳雄(1947-)


今回は「風船」についてのいろいろをお届けしました。

全体を通じての参考文献、出典: 斎藤良輔
               『日本人形玩具事典』(東京堂出版)
                NCID BN0142178X

                レナード・コットレル著、西山浅次郎訳
               『気球の歴史』 (大陸書房)
                1977年

                橋本毅彦・梶雅範・廣野喜幸監訳
                          『科学大博物館−装置・器具の歴史事典−』(朝倉書店)
                ISBN 978-4-254-10186-7

                櫻井誠子
               『風船爆弾秘話』(潮書房光人社)
                ISBN 9784769813354

                飯田龍太・稲畑汀子・金子兜太・沢木欣一監修
               『カラー版 新日本大歳時記 愛蔵版』(講談社)
                ISBN978-4-06-128972-7

               『角川俳句大歳時記 冬』(角川学芸出版)
                ISBN4-04-621034-6 C0392

                           白井明大・有賀一広
                          『日本の七十二候を楽しむ−旧暦のある暮らし−』(東邦出版)
                ISBN978-4-8094-1011-6 C0076             
  
           参考サイト:フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)



最後までお読みいただきありがとうございました。
   
                   (株)技術情報センター メルマガ担当 白井芳雄

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